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2007年3月22日 (木)

口唇ヘルペス

先週水曜日、39.5の発熱の後、唇にぽつりと赤い物。
それがみるみる大きくなり水泡となり、今はそれが破れた状態。
完全な「口唇ヘルペス」だ。
今までにも熱の後、ポツリと出来た記憶はあるが、
今回のようにこんなに大きくなった事はない。
こんなに酷くなったのは、やはり年齢で体力が落ちてきているせいなんだろうか?

ネットで調べると、早く治療するとよいとあるが、
ほっておいても2週間ほどで完治するとの事、
ウーン、どうしようかなー。

通勤ランはやりたいけれど、この口唇ヘルペスが治るまで、ちょっとの間中止にしよう!

2007年3月16日 (金)

やっぱり、「藪」っていたんだ!!

入った時から変だと思わなければいけなかった。

治療に通わなければならないかもしれないからと、
職場近くの皮膚科を地図で探して診察を受けた。

話好きの女医さんで、私が近くの事業所で、衛生関係の仕事をしているというと、
その話にかこつけて、学会の悪口まで延々としゃべりまくるという先生。
いやー、そんな話どうでも良いから、早く診察して欲しいんだけどーー、
という感じで、ようやく私の指に出来た小さないぼのようなふくらみを見て、
「ヘルペスです。飲み薬と付け薬を処方しておきます。
この飲み薬、高価だけど良く効きます。時間を守って、必ず飲んで下さいね。」
と念を押される。

が、1週間経っても治らない。
再診して、再度ヘルペスの飲み薬と付け薬を処方される。
更に1週間後、「ほら、枯れてきて治って来たじゃない」と医者。 私には治ってきたかどうかよく分からない。
分からけれど、ふくらみの大きさは変わらず、そして痛い。

それを言うと、「そう、じゃあ、塗り薬をもう一度出します」。

で、また1週間が過ぎた。

いぼのようなふくらみは相変わらずあり、そして痛みは全く改善されず。

「大丈夫。この薬を付けて、ほっとけばそのうち治ります。もう来なくていいです。」

ええっ!! もう来なくて良い、なんて完全な医療放棄じゃない!!
何!この医者!!

塗り薬もあるので、とりあえずなくなるまで付けてみようと思う。

2ヶ月近くその状態が続く。
全く改善せず。
このいぼのようなふくろを取り去ってくれると痛みも取れるんと違うかなあー。

そうした時、たまたま熱を出し、近くの小さな病院にかかる。
その時は当然「内科」で診察を受ける。

その内科の隣に「外科・整形外科・皮膚科」という不思議な看板を見る。

内科の受診の後、その「外科・整形外科・皮膚科」でも診察を受けてみることにする。

外科の先生は、「ウーン、何か、とげみたいな物を刺しませんでしたか?」
「だいぶ前のことで忘れました。主婦やってますからあるかもしれません。」
という事で、とりあえずレントゲンを撮ってみる事になった。

レントゲン写真を見ながら外科の先生「ウーン」とうなり、 「ちょっと待ってなさいよ。」と言って、 ついたての向こうの隣から別の先生を呼んでくる。

そのレントゲン写真を見るなり、
ついたての隣の先生、「あっ!それ、僕の領域ですね。」
「外科や皮膚科ではなく整形外科の領域らしいです。
隣に行ってください」
という訳で整形外科に罹ることになった。

症状は「ヘバーデン結節」と言うのだとか。
(舌を噛みそうな名前で覚えられず、帰宅後ネットで調べる。)
http://www.tahara-seikei.com/753b.jpg

「ガングリオン」の一種だとか。

で、「ベッドに横になって下さい。」って、
どうしてこんな小さな物に、ベッドに横になるの、ちょっと大げさ。
と思ったら全く違った。

「ちょっと痛いですよ!」と医者は言ったが、
「ぎゃー!!」
「ほら、押さえて!」と看護婦さんに指示。 私には「動かないで!」「ハイ!」
でもやっぱり「ぎゃー!!。痛ーーーい!!」

「見てみますか?」と言われて見てみると、
ゼリー状の物がたっぷり。「えっ! こんなに溜まってたんだ!!」

痛かったけれど、すっきりした。

皮膚科でもなく、外科でもなく、整形外科だったんだ!

しかし、それにしても、職場近くの皮膚科医院、
「ヘルペスです」と高い薬を2週間も飲ませ続け、 それでも治らなくて、さすがに自分で「誤診です。」とは言えず、
「そのうち、ほっといても治ります。もう来なくていいです。」なんて、
医療放棄で、何といういい加減な医者だろうと腹が立ってきた。

どうりで5~6回通院しても、
私以外一人の患者にも出会わなかったはずだ。

「藪」ってみんな知ってるから、近所の誰も行かないんだろう。
たぶん医者仲間からも馬鹿にされるから、
行くたびに、聞きもしないのに、学会の悪口を言い続けたんだろう。

やっぱり、「藪」って居たいんだ!!って改めて思った。

2006年5月24日 (水)

許容範囲

私は基本的にはblogに職場の話は載せないつもりだ。
しかし、しかしこの2~3日、私の許容範囲を超える事があり、ホトホト参っている。私と同室で働く同僚。年齢は私の1つ年下。彼女と仕事したことのある人は、誰彼にかかわらず腹を立てるし、彼女と関わりを持ちたくないという。彼女は口先は非常に達者、態度だけは非常に偉そう。しかしやる仕事の量は半人前。その半人前の仕事の内容さえ全く信用できない。仕事を全面的に任せられないのだ。
一応部屋の責任者の私は悲鳴を上げる。
彼女は自宅にパソコンは持っておらず、自分一人で「絶対」インターネットが出来るような人間ではない。このblogを読む事はない。

私達の仕事は細菌検査。陰性であれ陽性であれ、確実な結果しか結果書に書けない。陰性にしても確実に「陰性」と確認しなければ「陰性」という結果は出せない。当たり前と言えば当たり前なのだが、「陽性」には気を配っても、彼女は「大丈夫です。これは陰性です。」とパッパッと「確実」でない物まで「陰性」にしてしまう。
最終的にはやはり「陰性」になったとしても、基本中の基本の検査をやらない、決められたマニアル通りにやらない。そのためにマニアルを作ってあるのだが、「大丈夫です。」と言って基本すら手抜き検査で押し通してしまう。
結果書には最初から私の名前が印刷してあり、私は怖くて彼女のやった結果を鵜呑みにして結果を出せない。この1週間、私は彼女の捨てた物を拾い、追試をし、また彼女と違う物で必ず並行検査をしている。
私は細菌検査の責任者、彼女はその私の意見も聞かない。私の名前で結果書が出るので、「こうやってください。」と言っても彼女は「大丈夫です。そんな事をしなくてもちゃっんと結果は出ます。」
いやー、これが全然大丈夫ではないんだわー。参ってしまう。
ましてや同室の他のスタッフが、彼女に何を言っても、「私の方が年上!検査はあなたより長く携わっています!」と言って全く聞く耳を持たない。いくら年齢が上だろうが、長年検査に携わってきただろうが、彼女の仕事内容は、他のスタッフとまるで違う。それが全然分かっていない。彼女のやった検査は全面的に信頼できないし、怖くてその結果をままを「結果書」に記入できない。
そしてこの1週間で分かった事は、忙しくなると彼女はパニックになり、何が何だか分からなくなるようだ。
おおよそ仕事とは、パニくってろくな仕事は出来ない。特に「検査」などと言う仕事では、パニくると途端にミスが続発する。
彼女がパニくっているのが分かり、私は慌てた。自分の仕事をひとまず置き、彼女の仕事の援助をし、同時にこれはもう駄目だと並行検査を行うことにした。私は彼女の監視と援助、そして自分の他の検査、並行検査とイヤーこの1週間、目が回るような忙しさ。


そしておまけがいろいろと加わった。ある試薬を作らなければならない。滅菌蒸留水にホルマリン8.6mlの試薬を加えて作成する。ホルマリンは吸うと身体に毒なので、私は「ピペットを口で吸わないで測り取ってください。」と彼女に指示を出した。彼女は「分かりました。」と言って樹脂製スポイトで測り取ろうとする。私はえェーー??!
「いや、きちんと8.6ml測り取ってください。」と驚いて言うと、「大丈夫です。私も長年検査してるですから。これでちゃんと取れます!」って、化学をやった人間なら誰もが分かるが、樹脂製スポイトなんかできちんと8.6ml測り取ることなんて絶対に不可能。駒込ピペットでも怪しいのに、どうして樹脂製スポイトで8.6ml測り取れるんだ?!
それを「大丈夫!」と言い切って実際やろうとする。私はひっくり返り、非常に慌てた。その液は他の人達も使用する。私は「ちょっとまって!」と叫び、慌てて化学検査室からメスピペットとゴム製のピペッターを持ってきて、自分で試薬を調整する。
こういう事、一事が万事。ハアー、私、疲れるーー!!

細菌検査とはいえ、1ml、0.1ml、0.01mlを測り取らなければならない事も多い。正確に計り取れているかどうかは、化学天秤で水などを使用してチェックすることが出来る。
化学をやったことのある人間ならばたいていこのぐらいは出来る。ところが彼女にはそれが出来ない。つまり絶対に定量検査にたずさわらせることは出来ない。

毎年、私は所長に、「1mlも正確に測り取れない人を、検査に携わらせないで下さい。どこかに席を移してください。彼女に検査は無理です。一緒に仕事をしている人間の負担が大き過ぎます。」と訴えるのだが、所長からは、彼女の事は知れ渡っており、どこも引き取り手がない、どうしようもない、という答えしか返ってこない。

”細菌検査”の中身は多種多様。しかし彼女がたずさわっているのはその中のたった1種類のみ。1種類以上の仕事を彼女は絶対やろうともしないし、覚える能力もない。
本来なら彼女がやらなければならない一人分の仕事量を、後は他の人間が全部負担している。
忙しくて他の人間が休み時間も働いていても、彼女は「権利ですから。」としっかり休息を取る。
私の許容範囲をはるかにオーバーしている。溜息ばかり出る。

2006年5月18日 (木)

人間ドック

昨年5月、何年来健康診断なんか受診したことがないという友人を誘って人間ドックを受診した。
今年3月頃、昨年受診した病院から、人間ドック健診お誘いの葉書が来た。
「今年どうする?」となり、 私のスペイン旅行の都合で、今日まで健診を延ばして貰い、昨年同様友人と受診した。

今年は日程の都合か、人間ドック検診者が多く、検診終了は3時近くまでかかった。
最終結果は後日郵送されるとのことだが、午前中に採血した血液検査などの結果は午後には出ており、それに基づいて、大まかな説明があった。<>私の場合は胆嚢に小さなポリープがあり、これは昨年見つかり、今年も「要観察」という事になった。医者の説明では、胆嚢ポリープは小さく、大きさも昨年と変わらないで、それほど心配ないでしょうと言われ「ホッ!」とした。
それにしても、エコー検査をしながら、検査員が小さな声で「ァレッ!」と言った。こちらはドキッ!!何枚も同じところを撮っているのが分かるだけに、ますます心配した。
検査中に小声でも「ァレッ!」なんて声出さないでよ!「ァレッ!」って!心臓が縮み上がる!!

人間ドックはほぼ毎年同じところで受診しているので過去のデータも一緒に打ち出される。ここで面白いことを発見。
コレステロール値、LDL値、中性脂肪が年々減少している。LDL値、中性脂肪は3年前の約半分の値。たぶんスポーツの賜ではないかと自分で思っている。


友人は「動脈硬化検査」で、心配するほどではないが、少し血管が硬くなっていると言われたとか。私はランニングをする前、ストレッチの本で身体をほぐしたり、宇佐美彰朗さんのランニング&レース・ク リニックで教わってきたスポーツ医学に基づくスポーツのやり方の講義を聴いてきているので、友達を呼んで、我が家で「ストレッチ教室」みたいな事をやりたいと思っている。

2006年3月27日 (月)

疲れた!

朝起きると喉が痛い。かと言って熱があるわけではない。
一応出勤したが、昨日の疲れが充分取れていない。年度末で一応仕事も一段落しているので午後から休んでとりあえず寝ることにする。
家に帰っても食事を取りたくないほどぐったり。
血圧:135/80。脈拍:60。体温36度5分。熱なし。正常。やはりフルマラソンに続く昨日の疲れが出たのだ。とりあえずベッドに入ろう!
不眠症の私が昼間から寝られるはずもないが、身体を横にしているだけでもこの疲労感から解放されるだろうと、半日ベッドの中にいた。小一時間ほどは寝たかな。
旦那が帰ってきて、夕方やっと起き出す。

私が疲れた!帰って寝る!というメールを送ったため、ウナギを買ってきてくれた。
それに野菜スープを付けた。

昨日、妹夫婦が「イカナゴ」の佃煮を送ってくれた。
こういうのって、私大好きなのよね。結構高いから我が家ではめったにしか買わない。 イカナゴの佃煮で少し食も進み、少しは疲れもとれたかな?

明日の朝、まだ喉が痛かったら、医者に行ってから職場に行こう!

2006年3月24日 (金)

外反母趾

先日行われた荒川市民マラソンで、私は30kmのところで右足の指の付け根(母指球)がジンジン痛みだし、思い切って「救急室」のテントを訪れた。
靴下を脱ぎそこで言われたことは「外反母趾」で靴が足を圧迫し、それで痛くなっているとのこと。
癖で靴ひもをしっかり結わえていたのかいけなかったらしい。
自分の足が外反母趾であることは分かっており、今までも、マメ、血豆、魚の目が走るたびに出来ていたので、走る時は、いつも起こる箇所にあらかじめ絆創膏をぺたぺたと貼り、5本指ソックスをはいてレースに参加していた。しかもマメや血豆等は互いの指がこすれて起こりやすいので、短めの5本指ソックスと普通の5本指ソックスを二重に履いていた。
靴下を脱ぐと右足の拇指球あたりとその甲がかなり晴れている。まずは氷で冷す。
その救急室で言われたことは、靴ひもの結び方が固いと言うこと。これでは外反母趾をますます悪化させるので、靴ひもは全く締め付けないで、足の指が靴の中で自由に動けるようにしておくこと。
もし靴が脱げそうな感じがするのであれば、留終わりの部分だけしっかり結わえること。そして5本指ソックスの上から、指と指の間に応急としてティッシュの折りたたんだのを挟んでくれた。

なるほど足はかなり楽になり、残り12キロを走り切れると思った。

自宅に帰ってからネットで外反母趾を検索してみると、たくさんある。その中で私の気に入ったのが 自分で直す外反母趾というサイト。
このサイトの「混合性外反母趾」の項に、”靭帯性外反母趾と仮骨性外反母趾が合併したもので、中年以降の女性に多く見られます。”とあり、更に「中足関節が伸びたり緩んだり、さらに指を上げて歩くと、親指の付け根の骨の部分が靴とこすれーーーー、」とある。内側側副靱帯損傷で先月2月6日整形外科にかかった。この整形外科は、「スポーツ整形」もやっていおり、自宅にまあまあ近いと言うことで選んだ。この時、靱帯損傷以外にも、私はどうも右側の親指を上げて走る癖があるようで、それが靴にあたり、爪が変形して痛い。何とかならないかと相談した。明確な答えは得られず、足に靴を合わせて作るか、靴に足の爪が当たらないよう絆創膏を貼るしかないかもーという答えしか出てこなかった。

ところがこの「カサハラネット」というところで、外反母趾の本当の原因は 「指上げ歩き」というのを見つけ、まさにこれだ!という気がした。

外反母趾は自分で治せるとある。ランニングをしているのでテーピングのテープは持っている。さっそくHP上で書いてあった方法でテープを切るが、指への巻き方がいまいち良く分からない。
もし外反母趾が良くなれば、今まで走るたびに悩んでいたマメ、血豆、魚の目、靱帯損傷から解放されるかもしれない。場所も自宅からそう遠くないので、一度行ってみようかなー!

2006年3月22日 (水)

言ってみるものだ!

私は昔から不眠症。それに数年前から更年期障害も加わり、そうとう苦しんでいた。
はじめは心臓パクパク、動悸ドキドキでで心臓が口から飛び出すような症状になった。最初何科に受診すればよいのか分からず、病院受付にいる看護婦さんに相談して内科循環器系に受診した。
血液検査OK。心電図検査OKで24時間ホルター心電図の検査までやった。その後頭痛も加わり、職場のヘルスケアーで、更年期障害と言うこともあるので、婦人科に受診してみたら?とアドバイスを受けた。

やはりドンピジャ。そこで更年期障害という事が分かり、軽い精神安定剤睡眠剤を処方された。一日1~2錠なら毎日飲んでも大丈夫との事で、最初は薬を毎日飲み続けることに抵抗があったが、「寝られない、寝られない」と布団の中でもがいているのであれば、あっさりと毎日飲んで気持ちよく寝て、昼間気持ちよく働く方がはるかに身体にも精神的にも良い、と医者から言われ、寝る前は必ず服用していた。

とはいえ、飲み忘れる時もあり、数ヶ月置きに、同じ医者に薬をもらいに行っていた。

すると、ある時医者が替わった。ずっとかかりつけになっていた医者が、他の病院に移ってしまったから。
カルテはあるものの、最初から今までの症状を伝え、現在どうしているかを伝えなければならなくなった。えっ??
私とすると薬だけもらえれば良かったのにーー。おまけにくれた薬は数日分。2ヶ月分ぐらいまとめてもらっていたので、えっ??薬だけもらいに数日ごとに行くの??

新しく替わった医者は、私が頭痛もよくあるという症状の訴えを聞いて、神経内科で、MRIで脳検査までやるよう指示された。
まあ、MRIでの脳検査は一度はやりたいと思っていたからまあ良いけど、産婦人科から神経内科への受診に変わった。

神経内科の医者は、さすが神経内科の医者をやっているだけのことはあると感心したほど、こちらの言うことを充分聞いてくれるし、ゆっくりと穏やかなしゃべり方をする。そして「ここでも同じ薬が処方できますが、どうしますか? もう一度婦人科に行って、婦人科で薬を処方して貰いますか?」と言われたので、以前婦人科で貰っていた薬が貰えるのならばどこでも同じだし、婦人科の医者より、神経内科の医者の方が気に入ったので、神経内科で薬を処方して貰う事にした。

軽いとはいえ、睡眠剤が入っているので、一番最初の時は1ヶ月分しか薬は処方してくれなかった。
しかし貰いに行く回数が増えるに随い、2ヶ月分をくれるようになった。

私が気に入った神経内科の医者が、今年の4月から別の病院に行くという話を聞き、私は慌てた。
「えっ! 私、それは困るんですけどー。4月になって、また新しいドクターになって、最初から検査が必要だったり、別の科に受診しろなんて言われると、私、本当に困ります!」と思わず言ってしまった。
「いや、普通はそうはならないんですけどね。」と言うことで、おそらく私が、困る困ると言ったせいだろう、次回の予約を熟考の末、担当医を副院長にしてくれた。
副院長なので受診時間が他の医者より短いのが欠点。でもこれってすごくない!
いやー!やっぱり言ってみるものだ!

2006年2月19日 (日)

人生

先週11日、親戚が集まって姑の誕生会をし、みんなそれぞれにプエゼントをした。
姑はそれを覚えているかなあーと、今日、孫の次男が電話をすると、親戚が集まって一緒に食事をしたのは覚えていが、なんで集まったのかは覚えていなかったた。
しかし、はあー、やっぱりというか、プレゼントは覚えていなかった!
孫から贈られたパジャマは、箱のままどこかにかたづけられる危険があるので、先週帰る時、私が箱からだし、姑に着せた。そして箱を残しておくと、その箱の中に入れてどこかにやってしまうかもしれないので、帰る時、その他のゴミも一緒に、係の職員のところまで持っていき捨てた。
ところが次男の今日の電話によると、やはり「そんなん知らん」。
あーっ!!どうなってしまったのでしょうか?
姑の娘、つまり私の夫の妹が、「これは高いんやからね。ちゃんと毎日付けてね」と先週、何度も念を押したクリームは、よく目立つよう、私は洗面台の上に置いた。
翌日、電話をかけた時は、「ちゃんと塗ったで!」と言っていたが、今日の電話ではやはり「そんなん知らん。何にもないで!」、との事。
移動させると、どこにやったのか分からなくなるのに、何でもかんでも移動させてしまう。なんで移動させるのか、こちらは理解不能。
一人がゆったりと生活できる空間ではあるけれど、それほど広い空間ではない。そしてかたづける収納箇所も限られている。しかし、しかし、姑は何でも、ある物を移動させてしまい、そして自分が移動させてしまった事すら覚えていない(というか、そういう物があったことすら覚えていない)、それでいろいろな物が行方不明になる。たぶん、パジャマも高価なクリームも、探し回らねばーー。やれやれーー。

先週の誕生日会のプレゼントには、習字道具も含まれていた。
姑が現在住んでいる有料老人ホームでは、毎日午前と午後に何かをやらせてくれている。身体を動かすゲームだったり、折り紙だったり、童話を歌ったりと様々に工夫した催し物をやってくれている。その中には、俳句、短歌、お習字なども含まれており、成果が廊下に張り出されたりしている。
それらに参加するのは、強制ではなく自由参加。気が向けば参加すればよい。

俳句はとうの昔に止めており、今更またやる意志はない。先々週、夫がホームに行って廊下に張り出された他の人の習字を見て、「こんな事もやっているんやね。」と言うと、姑はその字を見て「あんなん何がうまい?私の方がよっぽどうまい。」と言った。
それを聞いた夫はビックリ。今まで自分の母親が習字をしているところを見たことがなかったから。しかし若い時に練習したのかもしれないと思い、習字道具を先週プレゼントしたのだ。これで習字をやっている時に、参加して貰いたいと思ったからだ。
しかし次男の今日の電話では、例によって「そんなん知らん」で、活用されていない模様。
それで、私も今日夫と一緒にホームに行って、姑に習字道具があることを教え、出来たら私が一緒にやって慣れさせ、みんながやっている時に、一緒にやって欲しいという、夫の、息子としての淡い期待をかなえさせようと、昨日から計画を立てていた。

姑のいる老人ホームに行くためには、昼前に出かけなければならない。
そのため今朝は9時には起き、長男と一緒に多摩川河川敷に走りに行こうとしたら、長男は昨夜は飲み会で起きられないという。
仕方なく、昼間なので、一人で河川敷を4キロ走る。タイムは26分14秒。キロ6分35秒ペースか。

帰宅すると、夫が溜め息をつきながら、「今、お婆ちゃんから電話があった。喉も痛いし、身体の具合もよくはないので、今日、我々はホームに来てくれるな、という。我々が行くと、散歩に連れ出すので、動くのが嫌なので断ってきたのかもしれない。散歩に連れ出そうとしても、このごろはこちらの言うことをちっとも聞いてくれないからなあー。それでも、他人には、ここは自由に散歩もさせてくれないと言うんだからー。散歩させてくれないどころか、自分から散歩を断るくせにー。それに今日は天気がよくないので、ホームに行くのを取りやめようと思う。」との事。

まあねえ、それなら仕方がないけれど、先週逢った時、姑は少し肥えていた。散歩もあまりしないし、自分からすすんで動こうとしない。そしてホームでは栄養のある物をしっかり食べているので、肥えるのはあたりまえだろうなあーという気がした。

姑は背が低いので、ズボンや袖は全部Sサイズかそれ以下。しかし胴回りは昔からLLサイズなので、服選びに大変なのよ。ズボンは腰回りに合うのを探してきて短くすればいいのだけれど、上着はLLサイズだと首と肩周り、それに腕の長さが小Sサイズ。LLサイズの下着でも上着でも改造が大変なのよ。現在はLを改造したりしているが、それが太ってきたというは、ちょっと対策を取らなければますます「やばく」なりそうーー。

足も痛い、腰も痛いって、他人任せに言わないで、自分でも何とか努力してくれなければどうしようもないのですがーー。

夫が「昔からよく言うよなあー。水飲み場に馬を連れて行けても、馬が自ら水を飲まない限り,馬に水を飲ませられないって。参ったなあー」。

夫がホームに電話をかけ、看護婦さんを呼び出して貰い、「我々が行こうとしたら、母親の方から、喉も痛いし、身体の具合もよくないと断りの電話を寄越してきた。それで今日の本当の具合を知りたい。」と質問した。
すると案の定というか、やはりというか、「いえ、今日は朝からとてもお元気ですよ。時々朝食を残される事があるのですが、今日は何一つ残さず全部食べられ、毎朝行っている健診の時も非常にお元気でしたよ。」と言う返事が返ってきた。

NHKの「100歳万歳!」という番組では、100歳を超えても、元気に生活しているお年寄りの報道をやっている。
足が動けなくなった人が、「自分の足で動けなくなったら、生きている楽しみがなくなる。」と言って、毎日足の訓練をし、毎日1時間は散歩をする100歳。
家事は「ぼけ防止」と言って、若い(? 50歳、60歳の)人達と一緒に、掃除、洗濯物干し、取り入れ、買い物等日常の家事生活を、自ら進んでやっている100歳。
毎日、「1から1万まで実行して、若者に負けていませんよ。」と発言している100歳。その「1万」は毎日1万歩、3時間ぐらい時間をかけて歩くこと。「1000」は新聞を1000文字以上声に出して読む、「100」は日記なり、新聞のニュースを100文字以上書く、「10」は生きている感謝と喜びを毎日10回以上「ありがとう」と声に出して言う、「1」は毎日1つ俳句を作る、と言う物。

私達が見ても、「素晴らしい!」につきる。

姑がいつも、少しでもそれに近づいてくれないかと願うのだがーー。

ただ「生きている。呼吸している。」だけではなく、人間誰しも死が待っている、その死ぬ間際に「ああ、私の人生って素晴らしかった!よくやった!」って言えるような生き方をして欲しいと思う。自分自身そうありたいと願っている。姑の口癖は「今更何やっても遅い。しょうがない」。でも100歳までにはまだ15年ある。動けなかった人が毎日訓練して動けるようになったという100歳の人は、90歳を過ぎてから自ら訓練したらしい。
「今更遅い」って、50歳、60歳の時も言ってなかった?

私も今、偉そうな事言っているけれど、姑ぐらいの年になると、私も同じようになるのかなあー。姑の気力のなさを変えさせるのはどうしたらいいのだろうか、それこそ今更姑に何を言っても、変わるわけでもなく、もう放っておくしかないのかなあー。

2006年1月25日 (水)

不眠症

我患了失眠症

普段は健康そのものなのに、昔から悩みがある。
「不眠症」だ。不眠症が続くと、頭は冴えているのに、神経がまいってくる。
いろいろな医者に診て貰い、現在は「神経内科」とかにかかり、睡眠導入剤を処方して貰っている。
これは「睡眠剤」ではないので、薬を服用して寝る時を逸してしまうと、効かなくなってしまう。

昨夜もそのパターンになってしまった。
目が冴え、頭が冴え、ウトウトとし始めたのが明け方6時を過ぎていたと思う。
これでは職場に行っても仕事にならないだろうなー。
起きる時間になっても身体が拒否する。で、結局1時間遅れで出勤した。

夫が私が起きるよりも先に職場に「身体の具合が悪くて、遅れて行きます。」と電話を入れてくれたものだから、職場に着くと、誰からも「大丈夫?」と心配された。
いつもの不眠症で出勤できなかったとはなかなか言い出せなかったので、適当にごまかした。

このブログを読んでくれている職場の仲間がいるので、アーバレてしまうなー!「出社拒否症候群」の表れかなあー???

2006年1月20日 (金)

娘が熱!(その3)

我的女儿病了感冒。(3)

職場で娘の話をし、「そういう場合どうする?」と聞くと、「そんな時、うちの母は”絶対来無くても良い!”と言うのに、絶対やってくるわね。」との事。
いずこの母親も同じで、どこの子供も似たり寄ったりなのね。

娘に「熱は下がっていますか?どんな具合ですか?食べるものを食べてますか?やっぱり心配です。」とメールを送ると、程なくして、私にではなく、夫に「昨日の夜から熱はひいて具合も大丈夫で大人しくしています。ちゃんと食べてるし薬もきちんと飲んでいます。だからかーちゃんは来なくていい。お願いだから、かーちゃんが来るのを止めて!」「心配してくれてんのは分かったし、有り難いとも思っております。だからってもう来なくて全然大丈夫です。食べるものもちゃんとあります。」と2度も娘からメールが入った。

分かりました。分かりました。今回、娘の処に行くのは断念します。

2006年1月19日 (木)

娘が熱!(その2)

昼過ぎ娘から携帯にメールが入る。
熱が下がってきたらおなかがすいてきた。冷蔵庫にはプリンはあるがご飯物がない。

食欲が出てきたと言うことはまずまず安心。「近くの店に電話して、店屋物を届けて貰いなさい。」とメールを返す。が、娘はそのまま過ごしたようだ。
夕方、私が出かけている間に、娘の旦那から夫に電話があり、夕方再び熱が出てきたので大学病院に連れて行き、再検査した後、今、点滴しているとの事。
前回娘が来た時、今度の日曜日我が家に来ると言っていた。天気予報では今週末冷え込むと言っている。食事の支度と家事をしに、そちらに行く、一日も早く病気を完治させる事に専念するようにとメールする。
すると娘から「来なくて良い!!」と返事。それを見ていた息子が「お母さん来てくれるのはうれしいけれど、うるさいからなー。来なくて良いって気持ち分かるよ。」ですって。どういう意味??
「兄貴が一人暮らしをしていた時、熱を出して死にそうになっていた時、家族に連絡すると今みたいに、すぐおかあーが飛んでくるって言うに決まっているので、うるさいから連絡しなかったって言っていた事があるよ。」ですって。
「母親として当然の気持ちだと思うけれどーー。」というと「それはそれですごくうれしいのだけれど、やっぱりお母あーに来て貰うとうるさいからーー。今のお姉えも気持ちは一緒だと思うよ。」って、えっっっ!!私、やっぱり分からない!!
家族が病気すれば心配するのは当然だと思うのだけれどーー。これって、どいう事なの???

2006年1月18日 (水)

娘が熱!

夜11時近く、娘から電話。医者に行って処方して貰った薬を飲んでいるが熱がずっと下がらない、どうしたらいい?とかなり半泣きな状態。39度5分ぐらいの熱がずっと続いているのだという。
今週初めの1月15日(日曜日)、 少し熱があるといいながら横田で行われた第25回フロストバイトロードレースに娘は参加した。
楽しみにしていたと言うから黙っていたけれど、やはりあの時、レース参加は止めさせるべきだった。フラフラでハーフマラソンを走って1時間47分だったとか。フラフラでもそんなタイムでフィニッシュするとはさすがだと思うが、いくら若いからと言っても無理しすぎたのだ。
救急車を呼んでも病院に行け!と娘に告げる。それから娘の旦那の携帯に、救急病院を探し、夜中でも良いから連れて行った方が良いと電話する。そしてどうなったか、起きて待っているので電話で様子を知らせて欲しいと伝える。
近くでなく、飛んで言ってやれない分もどかしい。

30分ほどして娘の旦那から電話がある。今、大学病院に来て、順番を待っているとの事。以前罹った医者では「気管支炎」と言われたとの事。
なるほどやはり風邪をこじらせたのだ。だから熱が下がらないのだ。
程なくして再び旦那から電話。救急病院では少し強力な解熱剤を処方され、今は帰宅途中だという。
てっきり入院になるかと思ったが、娘は帰宅させられたのだ。
医師は帰宅させても大丈夫と踏んだ上の処置だろうが、親としてはやはり心配だ。

2006年1月15日 (日)

職場の仲間のお母さんが亡くなり、そのお葬式に参列した。土曜日は夕方遅くまで習字の練習をしているので、近くならともなく、遠方ではお通夜に参列できず、告別式に参列した。

数日前、連絡を受け、同じ職場という事もあり、職場関係は私が主に電話連絡した。こういう連絡というのは、どこまでの範囲の人に連絡すればよいのか、連絡したことにより、連絡した相手に、使わなくても良い気を使わせるという事もあり、その判断が難しい。
職場を替わっている人、退職している人さまざまで、必要と思える人に漏れなく連絡を取るだけでも結構手間と時間がかかった。

しかし今日は職場関係の参列者が少なかった。たぶん殆どの人は通夜に参列したものと思われる。

無くなったお母さんは、突然の死だったらしい。風呂に入っていて、家族が「変だ!」と気が付いて、慌てて救急車を呼び、病院に連れて行った時には事切れていたらしい。83歳とか。あまりに突然のことで、家族としても茫然自失だったという。ただ本人も殆ど苦しむことなく、長患いで周囲に迷惑をかけることなく、それだけが救いだという家族の挨拶があった。

100歳まで生きている人が1万人を超えたと言われる日本で、83歳が「仕方がない」という年齢に入るのかどうか分からないが、人間いつかは誰もが死を迎える。その時、誰もが、周囲に迷惑をかけず、本人も苦しまずに死を迎えたいと思っている。
自分の死はいつどのような形で訪れるのだろうか?

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