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2008年5月 6日 (火)

掉换婆婆的冬装和夏装

我和我丈夫一起去婆婆的地方照顾她,在那儿我掉换她的冬装和夏装。
她说:"今天身体有点儿不舒服"。
没办法,我们停止和她一起去散步,玩儿和吃晚饭。

Rimg00612 今年三月に出来たという日暮里舎人ライナーに乗り、舎人公園に行きました。



Rimg00522 あまりに気持ちよく、ストレッチをしたり、太極拳をしたりしました。



Rimg00602 西洋絵画スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のような景色。



Photo ついうっとりしてしまいました。

2006年6月13日 (火)

賀蘭汗造像記

私のblog2006年5月14日 (日)の横浜書人会展で紹介した書道の先生が、一昨年特別賞に入選された「賀蘭汗造像記」の書をいただいた。私が北魏調の漢字に興味があり、力強い書体が好きだと言ったのでわざわざ郵送して下さったのだ。

ところが私に「賀蘭汗造像記」の知識がない。
恥ずかしながら教えて下さいと頼んで教えて頂いた。

中国河南省の古都,洛陽の龍門石窟の中の古陽洞の中に開鑿された碑文の一つであるとのこと。
「龍門石窟」は、北魏の孝文帝・元宏年間(471~499年)に造営がはじめられ、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐、五代、北宋で、400年以上も開削が続けられてきたという。北魏時代の物が全体の30%、唐代の物が60%を占めているという。その中の「古陽洞」は、龍門で初めて開削された石窟で、「龍門第一窟」とも呼ばれ、もっとも仏教的な内容に富み、書道芸術にも優れた洞窟とか。造営当時、北魏の皇室や貴族、官吏、僧侶らは、この洞窟に龕(仏像を納める厨子)や仏像を造ったのだとか。内部の壁から天井に至るまで大小さまざま、多種多彩に造営され、洞窟の壁に刻まれた仏像の銘文は、魏碑書道の「龍門20品」として非常に有名とか。 (「人民中国」<世界遺産めぐり(32)>より)

「龍門石窟」には、「賀蘭汗造像記」はその「竜門20品」品の一つで、古陽洞の中南壁上層部中央の佛龕い刻された銘とのこと。

『広川王祖母太妃候為亡夫賀蘭汗造像記』
碑 文
景明三年八月十八日、広川王祖母太妃候。為亡夫 侍中・使持節・征北大将軍・広川王賀蘭汗。造弥勒像。願令永絶苦因。速成正覚
読 み
景明三年(502)八月十八日、広川王の祖母太妃候が、亡き夫 侍中・使特節・征北大将軍・広川王の賀蘭汗の為に、弥勒像を造る。願わくは永遠に苦因を絶ち、速やかに悟りをひらかれんことを

洛陽遷都の後最初に着手されたのが古陽洞。南北両壁面を天井近くまで大小さまざまな佛龕及び仏像が彫りこまれている。これら一つ一つは、洛陽で生活することになった仏教徒たちが金を出し合って造らせたもの。北魏は中国大陸の西北部、蒙古方面から山西の大同付近にかけて牧畜に従事していたモンゴル系遊牧民の建国になる、との事。
なるほど「賀蘭汗(he lan han)」は、「成吉思汗(cheng ji xi han)(チンギス・カン)」と同じくモンゴル系遊牧民なので、中国式の漢字に当てはめるとそういう名前になるんだろうなあーと思った。

2006年4月15日 (土)

高友社書展

今日は朝から大忙し。
8:00~9:30:ストレッチの後10kmランニング。帰宅して入浴。
9:00~10:00:息子と朝食の後、太極拳へ。
10:00~12:00:太極拳。
12:00~12:30:息子と昼食。洗い物は息子に頼み出かける。
12:30~14:30:蒲田で手土産を買い、習字の先生の「高友社書展」(上野)へ。
14:30~:上野で旦那と落ち合う。姑のケヤーセンターへ。
15:30~:姑の部屋の整理と真冬用の下着などを入れ替える。
17:00~:姑を連れて上野へ。
16:00~:上野の「月の雫」で息子達と落ち合い夕食。
22:00:帰宅。

Photo_16 ← 先生の書の前で。

上野の森美術館で「高友社書展」。
みんなうまいなー。先生から「あなたも来年は出すのよ!」と言われた。書いてみたいという気持ちだけは十分にあるが、私、書けるかなあー。こんな風に書けたらいいなーとつくづく思うけれど、とても自信がない。「恥をかいて成長するのよ。」と言われたけれどーー。充分刺激だけは受けた。

姑のいるケアーセンターに行くと、入居者を集めて、職員が簡単なゲームをしていた。
家にいるとなかなかこんな事まで手が回らない。同年配同士の交流も持て、ありがたいと思った。
姑が私達を見つけて、部屋に戻ってきてくれた。我々は着替えを整理しに来ただけだからと、姑にゲームに戻って貰う。

姑の下着の入れ替えをしている時、それほど強烈ではないが何か臭う。一枚ずつ確かめ調べたら分かった!
たぶん姑が、係員に洗濯して貰うのを嫌って(遠慮して)、自分で手洗いした下着が数枚出てきた。
しかしたぶん石けんなどを付けず、ただ手洗いしただけで、それもしっかり手洗いできておらず、一見何となく綺麗だが、完全に落ちきっていない。それが引き出しの中でこもっていたのだ。
ビニールに入れ全部捨てる。次回は捨てることを考慮し、多めに下着を持ってこよう!
詳細に調べると、上着やズボンも、係員に出すのを嫌って(遠慮して)薄汚れしている物が多くぶら下がっていたりしまわれたりしている。
それを私が持って帰って洗っても良いのだが、またそれを持って来るには1週間以上先になる。ケアーセンターのサービスの中には「洗濯」も含まれているので、薄汚れしている上着やズボン全部を出し、係員に洗濯をお願いする。シミがべっとり付いて取れなさそうな物はあっさりと捨てる。このあたりは、やはり夫だけ来て服の整理や汚れを引っ張り出すのは無理。
姑は新しい服は「もったいない」と言ってなかなか着ようとはしないが、新しい物しかなければ、それを着てくれるだろう。

さて、ゲームも終わり、出かけようとなり、そうだ、姑の今着ている物も全部着替えさせることにする。
と、ビックリ。
老人のケアーセンターなので、室温は25℃。上着を着て外から入ってくると、暑いぐらいの気温。
その中で、姑は、長袖の下着(薄手)と真冬用の分厚い長袖の下着を着ている。その上に長袖のセーター、長袖のカーディガン、そしてチョッキ。
ヒエェー、着過ぎ!
下も同じく。パンツ3枚に膝までのズボン下。そして足首までの真冬用の分厚いズボン下。そしてズボン。
この暖かすぎるほどの室温の中で、こんなに着込んで暑くないのだろうか?
本人が着ているので、係員はわざわざ脱がすほどの事はしないのだろう。


夕食は豆腐がメインの「月の雫」で、姑も満足したよう。
帰りは、前回の事もあり、最初から覚悟していたのか、息子達が姑を送ってくれた。

2006年4月 5日 (水)

清明節

今日は二十四節気の1つ、「清明節」。
中国では墓参りの日(掃墓)。

で、即、思い出すのが杜牧の非常に有名な「清明」と言う唐詩(漢詩)。

Photo_7中国サイト(中国語コードがインストールされていないと文字化けします)杜牧与《清明》詩[図文]には、中国汾州(今の山西省)杏花村から出てきた石碑の写真が載っていた。

清明時節雨紛紛
路上行人欲断魂
借問酒家何処有
牧童遥指杏花村

あまりにも有名な唐詩なので、中国語では口からスラスラっと出てくるのに、日本語の読み下し文は分からない。
ネット上の清明の詩によると、

清明の時節は雨紛紛
路上の行人魂を断たんと欲す
借問す酒家は何処に有りやと
牧童遥かに指さす杏花村

とのこと。うーん、中国語の詩は平仄のリズムがあり覚えやすいが、日本語の読み下し文はゴツゴツしていて覚えにくいよーー。

今日、東京地方は昼前から雨。この雨でかなり桜も散った。この季節雨が降りやすいのは、日本も中国も、今も昔も同じと言うことか。

2006年2月 1日 (水)

石川九楊

我が家は「日本経済新聞」を定期購読している。

現在その「日経」の文化の欄「新十字十選」で、石川九楊という書家が小さなコラムを書いている。
私が気が付いたのが3回目からだ。
「書」に対する解説がなかなか面白い。例えば
第4回目の顔真卿「多宝塔碑」の解説はこうだ。

《この書は快か不快か? いずれにせよこの臭うような生々しさはどうだろう。左上から右下へ切り込むような横画の起筆。力を弱めいささか緊張を書いた走筆。そして重く、深く筆先をうずめる拳のような終筆。》

今まで「書」をこのように解説してくれる人や書物に出会ったことがなかったので、私は小さなコラムながら、なるほど!とかなり感銘を受けた。解説は続く。

《ここには、王 羲之も初唐代の楷書も表現し得なかった、悩み、悲しみ、苦しみ、また怒り、喜びに揺れ動く人間の意(こころ)を湛(たた)えるまでに成長した筆触の新段階がある。》

とてもこの大書家の境地に至ることは不可能だが、「書」を真似て書くことも大切だが、こういう解説書を読み、納得しながらやると、また違った心境で書けそうだ。

石川九楊をいろいろ検索してみた結果、

「書家101」
「一日一書」
「書に通ず」

などがお勧めのようだ。機会があれば買って読んでみよう。

2006年1月31日 (火)

セザンヌ

午後から職場を休み、旦那と渋谷で落ち合い、「ポーラ美術館、印象派コレクション展」に行った。
日曜日に行こうと言っていたのだが、 「内側側副靱帯損傷」で足が痛くて行く気にならず、火曜の午後なら休暇を取りやすいからと、出かけることにした。

実際はじっと長時間立っているのは、まだちょっときつかったが、美術館の中に座れるところがあり、休みながら観賞した。

こう見えても、私は昔、中学生3年間、美術部に所属していて、絵を描いていたこともあったのだ。
風景は遠近感を捉えるのが難しく、人物は形を捉えるのが難しかったという事もあり、またセザンヌの「静物画」が好きで、セザンヌの画集を買ったこともあり、中学3年間はほとんど静物を描いていた。
その中の1点は、日米学生絵画交流に選ばれ、アメリカの中学に渡った事もある。

本格的な技法などはおよそ知らないが、風景の遠近法の描き方、人物の形の取り方は、美術部に所属していただけに、基本知識としては一応持っている。
平面のキャンパスの中に、立体を描き出す方法、光と陰の描き方、色の混ぜ具合など一応は知っている。

セザンヌの静物画は、色を塗り重ねて重厚感を感じさせるゴッホなどに比べると、色を丹念に書き分けて、どちらかというと水彩画的な東洋的な感じさえする。私はそういうところが好きだった。
今回の「印象派展」の説明で、印象派の画家達は、日本の葛飾北斎、写楽、安藤広重などにかなり影響を受けたという事であった。
モネやゴーギャンは昔から有名だが、おそらくセザンヌもそういう影響を受けたかもしれない、私が昔セザンヌに感じていた東洋的な作風は、やはり当たっていたのだな、と思った。

それにしても、いつ見ても、いつ見ても、ルノアールの女性像には心底まいってしまう。どういう風に色を混ぜたら、どういう風に筆を動かしたら、こんなにも優しく、こんなにもしっとりとなめらかな、こんなにも優雅に女性を描き出すことが出来るのだろうか?
ルノアールの手にかかると、どんな女性もこれほど優しく香しくうっとりとした女性に変身させられてしまいそうだ。女性としてありがとう!、こんなに美しく描いてくれてありがとう!、そんな言葉がほとばしり出てくるようだ。
ああ、見ていて飽きないなあー!

会場は平日と言うこともあり、また午後から雨という天気も幸い(?)して、入館者が比較的少なく、比較的ゆっくりと絵を鑑賞することが出来た。絵画を見る時は、休日ではなく、職場を休んででも来たい!

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